文脈の事故

オール・ノンフィクション

台湾で同性婚が可決されたと聞いた今、心底どうでもいい、ほっといてくれよ、気持ちが混乱している。こないだ早稲田の台湾人留学生と会った時に赤裸々に恋愛事情を話したら「わかるよ。おれもいま付き合って一年の彼氏がいる。台湾に帰ったらそいつと一緒に住むと思うんだけど、今のこの感じはきっと続けられないだろうな。」と言っていた。僕は、この関係が続いて欲しいな、と思った。僕と彼の決して侵されない、でもどこか片隅で思い合う余地が残されている、些細で不純な関係。そしてそれは、それまで体関係を求めてやってきた自分にとって、あぁ、ここまで異常になったかと思いきや、まだまだこう思える正常さがあったんだありがとうと感謝をした。僕は彼の幸せを祈っている。

異常さだとか愛がどうだとかどうでもよくて、やっぱり僕は身体が先のこの界の掟を受け入れることができない。それはこの先もずっと続いていくだろう。スピード感が異様に速い。それも追いつくことができない。ただ恋愛をしたいのに。叶うものなら異性と恋愛してみたい。

その日、私はもう何もわからなくなっていました。黒い犬がいました。何かを書こうとすると、それが私の言葉ではないかのような、そんな感覚がありました。私はずいぶん弱く、小さな人間です。暗くて狭いところに潜って、ずっとうずくまりながら、空は晴れていて、枯れ葉が穴の中に一枚入っていって、その葉脈をただひたすらなぞっていたい。そんなことを思えてしまう人間です。例えれば、何かが音を立てて崩れていった。という事も実は無く、そのように堪忍した己の身体の稚拙さを、この身を以てただただ受け入れてしまいたい。ホテルの文字が今日も赤く灯っていました。車がたくさん走っていました。私は寝る前、夜更かしして、深夜三時くらいに走る車が好きです。なんでそんな時間に車走らせてるの、と思えるからです。そこに人はいませんでした。良き理解者が、とか、共感相手が、とか、そんなのは全てまやかしで、あるのは独立した心と体で、だから小学三年の頃に「100%理解してよ」と言って泣き崩れて母親を困らせた記憶が蘇るのです。自分勝手だね、とよく言われてすくすく育ってまいりました。ずっとそうです。小学校の通知表で、他人に共感できる、の欄がもう少しに○がついていたので、これは治そうと思わなければ治りません。たちが悪いです。いま目の前に校舎が見えます。あと一年いたら、離れることになる校舎です。反応の悪いカードキーを取り出して、入ろうと思います。

2019/05/09

余りにもだだ漏れてしまっているものに畏怖を覚える。生活が。植本一子の『かなわない』の論評で滅菌済みの育児レポの菌の部分をまったく滅菌していない、その開けっぴろげさに驚くという意見があったがそれに近い感情で。姫乃たまの「いつくしい日々」を聴いてヤベェなと思ってググったらnoteがあったから思わず買って読んだらもうそこにはあまりにも全部がダダ漏れていてすごいな…と思ってしまった。他人の生活が、プライバシーとかそういう中高の授業で習うような範疇を超えてしまった欲求が、溢れている。そしてそれは美しいなと思う。

20190503

昨日は取り掛かっていたwebサイトの作成が概ね終わり、その足で終電、学部の先輩宅で夜を明かした。学部時代にお世話になったラーメン屋の味を思い出したくて、友人を連れて朝ラーメンを食した。それは記憶の味とはどこか違っていて、そして時が経つにつれて段々と、あぁこういう味だったんだ、と納得を噛みしめるかのような体験だった。あれは異様な気がする。

今は通学路。学校で寝る。ラブホテルの駐車場の車は、終電の昨晩と同じ灰色の車が止まっていて、そこで夜を明かしたことを物語っていた。かすかな痕跡の連続がそこに人がいたことを教えていた。そしてまるで取調室で一つ一つ情報を照合させていくかのように、一年も経ってしまえばラブホテルの記憶は薄くなる。そこに人はいたのか。そこに存在感はあったのか。とかいうことはもうどうでもよくなって、あとは車だけが全ての行き先を記憶している。

20190417

私は代理店に行きたがっていた過去の自分の仇を果たすために今こうしているのかもしれない。と思った。昔からそうだった。中高の時とかひどかった。得たいのは地位と金だった。たやすく得られる手段としてしか代理店就職を考えていなかった。いまこんな時代だからかつて輝いていた人物はその輝きを失っているし、残す魅力は金か。たしかにお金はたくさん欲しい。どうなっても欲しい。お金がありすぎて用途が見つからない、という果ての状態を人生で一度は経験してみたい。広告に対する愛とか熱とか、インターンに参加してみて思ったのは、そういう類の宗教に熱狂できるタイプでも無さそうだぞおれは、という確かな確信だっただって本当にインターン参加者が新興宗教信者みたいだったから。おまえそれは狂って死ぬだけだよと言われるけどもう何が何だかわかんない。狂いではなくてこれは過去の自分への仇だよ、果たしたらシュンとしぼんでしまうお前の恋愛感覚に似たようなやつだよ、おまえはバカだよ愚かだよ、それで電車がやってくる。13:57発の急行和光市行き。これに乗って徴兵令は始まりを告げる。

最近おかしかった出来事。YouTuberが赤飯おにぎり食って死んだ動画を昨晩見たこと。意気揚々といきまーす!と言い放ったYouTuberは一口でおにぎりを口に入れ泡吹いて死んだ。それを見てライブ配信した自殺女子高生のことを思い出していた。本当は何を思っていたんだろう。という感傷は寝る前にもなればきっと無くなるだろう。人が亡くなるさまを容易に見れてしまう世の中なんておかしいよ。でもそれを見てみぬふりもいくらだってできるよ。おにぎり一口食って死んだYouTuberのTwitterアカウント見てCoccoみたいな人だなと思えてリップヴァンウィンクルの花嫁になぞらえてしまっておかしかった。極度の連想脳が無関係な出来事をすぐさま繋げようとしてしまう。とても怖いことだ。どうにかなってくれ。セッちゃん読みすぎて脳汚染された。

20190416

大して制作が進まない日はどうしようもない気持ちになる。抗えない怠惰が重くのしかかる。その時人がどんな行動を取るのかを静かに観察する。家に向かって歩いているこの時、作りたいという気持ちが湧く。でもそれはできないから、また明日に繰り越されてしまう。どうやってアニメーションを拡張できるか。

 

たくさんアニメーションを観て、読んで、作って、話すのが大学院生としての私の特権というものである。金銭的な援助、将来的な立場、取り掛かるべき仕事、それらの三重奏が悲観的なものであったとしてもきっと私は大丈夫。

 

FPSのファーストパーソンを露見させるための装置。インターネット前提社会だからこそ通じる物語。トランスフォーマティブに消費される身体。言葉にしてしまえば幾分簡単だがこれらは作らない限り何も見えない。億劫な手をどうにかして動かさない限り、残酷なまでに結果の違いが現れてしまうのである。それを納得する。

 

今日は自転車のライトがDMXみたいに見えた。伸びる光。視線。サーチライト。自分だとこうにしか見えないものを他人と共有するための方法。フォークロア。民話。100年後くらいに再発掘されてほしいテキストデータの追体験。今日はそんな感じでした。

20190415

一分半。一分半だけ膨張する。一分半だけ収縮する。一分半探せる。一分半繰り返す。一分半慣れ切ったものが変わりがわる。一分半が切り取られてコピペされる。一分半は流れていく。一分半だけが、静かに流れていく。