文脈の事故

オール・ノンフィクション

20190602

その男は何でも神聖にしたがるのが趣味だった。例えばネッサン・ドルマを流しながらセックスをしたりしていた。長いトンネルでエコーが何倍も反復するなか車上結婚式を挙げたりしていた。ブーケトスはもはや責任転嫁状態で、受け取った人の笑い声、近くで見ていた人の泣き声、地中の死体、全員が一斉に笑いを挙げた。音のないポリフォニーがその場限りで響いた。しなやかな森で起きた自殺の音が部屋にこだましていた。鳴り止もうとしていたのもつかの間、ご主人の死んだ時計屋の生きていた時計がたくさんの響きで死を歓迎した。

20190531

ああ。

 

ちゃんと目の前にある物をこなそうと思った。むしろそれしか無いのだと思った。適当にやり過ごしてしまった事をきちんとこなして返す修行だと思った。それにしても正解は無いな。どこかに落ちてないのかな。思うけれど思わない事にしようと思った。一回休み。

20190530

頭の中のタッパー 外してみる ゴム製の蓋を外すとき ぺりぺりと剥がす 剥がした 誰かが米を食ったのだろうか 蓋の裏側に米粒の跡が 一つ二つ三つ かつての米の痕跡が たしかに存在している 米の空隙が 瞼を開けるとわかる 私のようなもの 昔こんな話を聞いた事が無い 地球は自転しているからあなたの影も回転している あなたは何かと問われたら回転する影だと答えられる という話 光源の回転に喜ぶカビがいる 浴室のタイルの隙間にうっすらと生えるカビ 陽光を餌にしている 明くる日の朝に 朝という時間帯がすっかり生活の中から消えたと気づいたその時だ 目の前は単調なリズムを以て 朝の光の中に電車人運転手全てが吸い込まれてしまった時に 人気者の秘訣はなんですかと聞かれた時に 目の前の葉脈と朝露に気づいてしまった時に その時だけ行える儀式がある まず一回転する そして二回高飛びをする 三回お茶をすする動作をしたあと 四回お辞儀をする 以上である 寒さに肌が縮むときに行える儀式 黄色のエムの字の店員に顔を覚えられたときに行える儀式 そんな儀式をして何になるのと聞かれても それは私が私であるためなんですと 心地よく 澱みなく 味気なく 潔く 答える 答えたあとの反応は鑑みない 不気味なタワーに変貌してしまっても笑わない 歩いたら走ったら目を開けたら顔を洗ったらバチが当たるよ とおばあちゃんから言われない 頭をかきむしったらフキノトウならぬフケの糖だよ とおじいちゃんなら言われない 穏やかに死期が近づく音がしていても わたしは絶対恐れない 可愛さを保つ魔法はなんですかと聞かれたときに ホームで独り言をぶつぶつ言うことでしょうか とか言う魔法 墾田永年私財法 

20190528

意味のわからない方向へ進みなさい、と卒業式で学部長から言われる。そういう学部に通っていました。それから二年。人生の岐路に立つ今、就活も落ち着きましたが、正直会社に入って落ち着く姿が見えません。デンマークでゲーム研究しに博士留学する。これが今僕が思う一番意味わからない方向性です。だいたい博士(ゲーム学)ってなんやねん。世界の偏差値を下げ、皆もっと遊ぶような世の中になってほしい。情報が過剰消費されて飽和した現代において、遊びを研究することはとても意味があることだと思えてしまうのです。

ゲーム、ナラティヴ、アニメーションの関係性を作りながら考えたい。というのが一望で、一番意味がわからないけど人間らしい進路だと思います。とはいえ現状は作品の進捗も怪しく、先生からはもっと実験しろ!と言われているのでそれを頭に入れながら生活しないと駄目です。まずは片付けから。講評終わったしやってくぞ!

講評だった。結果は散々だった。考えるべきことはちゃんと認識できたからそれが良かった。何でこうなってしまったんだろう。何がいけなかったのかな。他人に理由を見出そうとするけど間違いなく自分にも非がある。何でその感情になるんだろう。妬みとか羨望以外のものがある気がする。通過点だと先生は言ってくれたけどこんな適当にやってしまったものに通過点と名付けるのが悔しい。

台湾で同性婚が可決されたと聞いた今、心底どうでもいい、ほっといてくれよ、気持ちが混乱している。こないだ早稲田の台湾人留学生と会った時に赤裸々に恋愛事情を話したら「わかるよ。おれもいま付き合って一年の彼氏がいる。台湾に帰ったらそいつと一緒に住むと思うんだけど、今のこの感じはきっと続けられないだろうな。」と言っていた。僕は、この関係が続いて欲しいな、と思った。僕と彼の決して侵されない、でもどこか片隅で思い合う余地が残されている、些細で不純な関係。そしてそれは、それまで体関係を求めてやってきた自分にとって、あぁ、ここまで異常になったかと思いきや、まだまだこう思える正常さがあったんだありがとうと感謝をした。僕は彼の幸せを祈っている。

異常さだとか愛がどうだとかどうでもよくて、やっぱり僕は身体が先のこの界の掟を受け入れることができない。それはこの先もずっと続いていくだろう。スピード感が異様に速い。それも追いつくことができない。ただ恋愛をしたいのに。叶うものなら異性と恋愛してみたい。

その日、私はもう何もわからなくなっていました。黒い犬がいました。何かを書こうとすると、それが私の言葉ではないかのような、そんな感覚がありました。私はずいぶん弱く、小さな人間です。暗くて狭いところに潜って、ずっとうずくまりながら、空は晴れていて、枯れ葉が穴の中に一枚入っていって、その葉脈をただひたすらなぞっていたい。そんなことを思えてしまう人間です。例えれば、何かが音を立てて崩れていった。という事も実は無く、そのように堪忍した己の身体の稚拙さを、この身を以てただただ受け入れてしまいたい。ホテルの文字が今日も赤く灯っていました。車がたくさん走っていました。私は寝る前、夜更かしして、深夜三時くらいに走る車が好きです。なんでそんな時間に車走らせてるの、と思えるからです。そこに人はいませんでした。良き理解者が、とか、共感相手が、とか、そんなのは全てまやかしで、あるのは独立した心と体で、だから小学三年の頃に「100%理解してよ」と言って泣き崩れて母親を困らせた記憶が蘇るのです。自分勝手だね、とよく言われてすくすく育ってまいりました。ずっとそうです。小学校の通知表で、他人に共感できる、の欄がもう少しに○がついていたので、これは治そうと思わなければ治りません。たちが悪いです。いま目の前に校舎が見えます。あと一年いたら、離れることになる校舎です。反応の悪いカードキーを取り出して、入ろうと思います。