文脈の事故

オール・ノンフィクション

全人類がバイじゃなくて本当によかった

全人類がバイになってしまった。そういう系の出会い系アプリでは、周囲のバイが何km先にいて、レベルはどれくらいで、タチかウケか、詐称した年齢と体重が、ありありと表示されてしまった。全人類の性的嗜好がバレて、どの部屋もあの部屋もラブホに変わってしまった。プロフィールには、いつエイズの検査を受けたかだとか、いつそれが陰性だったかだとか、人類を弱気にさせる情報が蔓延してた。


全人類がバイになってしまった。電車の中でも渋谷のハチ公前交差点でも、誰もが誰もをハグできる事態を想像してみる。誰もが誰もを好きになる事ができて、誰もが誰もを愛し合うことができた。でもそれは誰にでも渡せる義理チョコのような軽さで迫ってきていて、それを縛る法律も無いから、三夫一妻制くらいの性的な関係がデフォルトになってしまった。その時誰もがそっち系の出会い系アプリを"ご当地ポケモンGO"だと称した。だから、旅行先の台北でも、勤務先の半蔵門でも、通学先の横浜でも、そのアプリは起動され「エッチしてもらえませんか」と身体が先の性関係は静かに幕を切った。


全人類がバイになってしまった。終わりのない無限ループのGIF画像が今もどこかのTLで流れているように、底無しの地獄沼が至るところで発生している。「性的嗜好はよくわかったよ。でも小村君が満足いくように私も頑張るから」無理して言ってた。無理して言わなくてもいいよ。頑張らなくていいよ。前だけ見てればいいよ。前だけ。


そのとき眼前にはいつかの記憶がフラッシュバックしていた。多摩の公立小学校に通っていた頃の運動会。徒競走。走るのが得意でなかった。三番目とか四番目くらいに走っていた。準備体操していた。担任の男の先生が体育着を着ていた。なぜか太ももに視線が釘付けだった。そして当時僕の性的嗜好が詰まったDVDを個人的に焼こうとしていて空のDVD無いかなと思って父親の部屋のベッド下の引き出しを引いてみるとそこには大量の裏返しのエロDVDが地層のごとく積まれていたりだとか、パソコンのDドライブのマイピクチャを見たら当時劇団員だった父親の若い女の劇団員のポルノ画像が大量に出てきたりだとか、そういうのを小学3年くらいの時に経験して、そこからそういうエッチな女の画像を一切受け付けなくなってしまった。だから高校2年の時の海外研修で男だけのバスに入った中でそういう話になって皆そういう画像で一人エッチしてることを知った時、脳天にとてつもない衝撃的な電流が流れた。そしてそれはイニシエーションとして乗り越えなければならないのか、偏った性的嗜好に染まり切っていた僕はどうすればいいのかわからなくて、性的嗜好を変える論文を本気で探した。そしたらある論文にそういう性的嗜好の男性を集めて女のエロ画像見せてる時に頭に電流流したら女見てる時に性欲を抱けるようになったよ☆みたいな結果が書いてあって寒気がした。僕は、正しい時に正しい電流がただただ流れればいいのに、というかそこのDNAの配列間違えんなよ、と今思った。


だから全人類がバイじゃなくて本当によかった。全人類はバイじゃなかったのだ。