文脈の事故

オール・ノンフィクション

2019/09/04

全呼吸がなくなってしまえばいいのに。あいつがおれの人生に入ってきてから、あとあいつらが入ってきてから、人生は途端につまらなさの終焉を迎えた。自分がYouTuberもどきのごっこをやっていたのはそうでもしなければポジションや認識が脆く無くなる環境に身を置いてしまったがための発作だったのかもしれない。しかし進級してからこれというYouTuberの案が思いつかなくなったのは、それだけ日々が退屈で、憂鬱なものが蒸気のように漂っていて、誰からも何も認められなくて、まるで必要とされていないようにさえ感じて、やっているはずなのに誰もそれに触れないことが大人になることなのかとか思って、それはただの都合良い解釈なのかも。何もかもしたくないと思って、誰からも信頼されてないし、必要とされてないし、でも上から責任は降ってくるし、頼れる人ってそもそもいたっけ?みたいなレベルの中で、何に向き合えばいいのかわかりません。中学時代にカウンセラーにお前はよく頑張ってる、と言われて肩叩かれたのをいまだに思い出す23の初秋。あまりにやさしくてその場で泣いてしまったんだけど、それは同時にその人の立場と自分の立場の違いをくっきりと姿見みたいに明白にした作業でもあった。バキバキと体が痛い。作業しすぎ。はよねろ