文脈の事故

オール・ノンフィクション

2019/11/13

成田空港まで暇なのでそれまで思い出せることを書いていく。

思えばあの奨学金を知ってから、それを経て留学する選択肢がぼんやりと頭に思い浮かんだのだった。しかし昨年同期が受けて落ちていたり、語学が必要だとか、そもそも資格満たせるのかとか、いろんな噂が錯綜していて、果たして受かるのか…と思ってた。でも選択肢はあるだけあったほうがいいし、受けられるのなら受けたほうがいいから応募した。

書類を提出する前に、この奨学金を出すにあたってのコツだとかどういう人が受かってるのか知りたくて、助手さん経由で藝大先端卒の奨学生のかたを紹介してもらって、会った。うだうだとおれが話してしまってなんとなく的が定まらない会話をしていると、その奨学生のかたが「自分の言ってることに自信もったほうがいい。ゲームが現代アートなんですかね?じゃなくてゲームは現代アートなんです、でいけ。自分の好きなこと、興味をそのまま伝えて」と言った。その言葉を信じた。信じて書類を書いては推敲の日々だった。削っては書いてを繰り返し、納得して出した。TOEFLあんまよくなかったけど出した。

けど受かるかどうかはほんとに自信なく、だから書類審査通過の連絡が来たときは、思わず研究室で「ああぁーーー」と言った。十日後にプレゼンと面接の審査があった。審査員は錚々たる顔ぶれ。連絡が来てまずしたことは、YouTubeで読売新聞の短距離走選手のCMを観ることだった。走れ、走れ、お前の道を、的な。思えば以前別の奨学金の受給通知を受け取った時も、このCMを観ていたのだった。「絶対受かる」とノートに書いた。連絡を受けて数日して、SFC時代の同期と会う機会があった。そのときにプレゼンの構想を話したら案の定うーん…みたいな感じで、たしかに当時の構想は着飾ってて、言うべきでないことまで包括している内容だった。これはまずいと思った。

後日今いる藝大の博士の説明会に行った。そのとき正直、(D進は違うな…)と直感で勘づいた。

いつもこうだった。SFC行ったのも、藝大行ったのも、全部直感だった。自分がそこにいる想像がつくか。直感で違うなと思ったらそれは違う。進むべき道がいつも直感によって導かれている。

面接一日前、学校近くのルノアールに篭った。前半は集中できなくて、後半からエンジンがかかり、プレゼンをちゃんと全て自分の言葉で発表できるよう、スライドと原稿を大幅に修正した。実家に帰って、寝て、起きて、プレゼンができたのは面接当日の出発前という有様だった。

案の定、プレゼンは制限時間を超過し、「そろそろ終わらせてください…」と事務局の方から言われながらも続行し、終わったあと(これは落ちたな…)と思って、選考結果のご連絡で「残念ながら…」の文面を何度も想像した。てか服装指定されてなくてスーツでいったら「アート部門の人はスーツでくるの珍しいですけどね」と一蹴されて出だしから間違えてたのかもしれない。

面接が終わり、結果が来るまで長く待った。落ちていることを何度も想像しながらも、どこかで希望を保とうと必死だった。本当に進路が定まってなかったから、博士の出願もあるし準備するかと思っていた。面接から十日が経ち、選考結果のご連絡なるメールが。残念ながらの文字を見るのだろうと思って沈みながら開いたら、合格、奨学生採用の文字が。嘘だろうと思った。研究室で思わず「ええぇーーー」と言った。進路の方向が定まった瞬間だった。導かれた。直感のもとの方向に行ってもいい許可だった。これがないと留学できなかったから。

いまは心いっぱいの嬉しさと驚きに満たされている。どうなるんだろうとも思うし、これから迫りくる留学の試験と修了制作、展示準備、溢れに溢れているけれど、全うしたい欲求はあった。月並みの言葉だけれど目の前の物事をやるほかなくて、でもやりたかったことだから楽しいし、嬉しい。ありがとう。、作家になるために頑張る。