文脈の事故

オール・ノンフィクション

2019/11/29

大学院に入ってから、見られることへの恐怖を克服しているように思う。このように見てほしい、という理想の鑑賞者は誰一人おらず、いつの間にか作品は見られ、途中で去ったりとか、じーっと見続けられたりとか、している。はじめはこの鑑賞への恐怖がだいぶあった。作者の死だとかなんだ言われているが、そんなことより、今日お茶でもどう?風呂に浸かって、久々に浸かったな… 体をねぎらうその瞬間、ふとあの風景を思い出す。くらいの偶然があったらいいなと思いながら作る。

二回目の就活は、「人生楽しいですか?」と訊きまわる舐め腐った態度を持ち続けた結果、落ちた。前にいる人達が、あまりにも虚を張ったようにしかみえなくて、口で虚をいうのはこのことかと思って、ますます社会に出ることが嫌になりました。いま隣で会社説明会みたいなイベントが行われてる。この人たちは何を本当は考えてるんだろう。キャバ嬢とか会社の可愛い人。なんなん。大阪の男はがたいのいい肉。うまくな

おいしい肉たべたい。