文脈の事故

オール・ノンフィクション

昨日はイメフォのBプロを見に行った。愉快な風景たちという名前のプログラム。わからないことをわからない、と言うのはSFCにいることでの病気だと思った。中学の頃を思い出していた。中学の頃、私は、親友がおらず、美術室が好きでよく入り浸っていた。美術の先生とインスタレーションの話をしたり、東京造形とかムサビのパンフレットを見てこんな作品あるのかと思ったり、予備校のパンフレットの合格体験記とか参考作品を見るような中学生だった。中2の頃、親に「おれ高校生になったら新美の通信で先端芸術表現科のコースとりたいんだよね〜」と話していた。中1前後で、藝大の先端を受験したいと思っていた。ただ、就職実績を調べたら案の定ひどかった。就職はしたかった。「年収 ランキング」で調べたら、代理店が上位だったので、代理店のCMプランナーになりたいと思った。中2。運命的な出会いがあって、SFCを知った。SFCは就職実績もよいし、学びたいことも学べる。ここに行きたい。それからは何十回か美大に行きたい思いを紆余曲折を経てやっていき、それでも第一志望はSFCと書いていた。