文脈の事故

オール・ノンフィクション

20170424

土居伸彰が書いた本を読んでいるのだが、短編アニメーションは、個人的な表現であるがゆえに他者から理解を得づらい、という文があって、言い得て妙だと思った。と同時に、“個人的”であるかどうかは大事だと思った。“個人的”は情勢や情況に依存する面もあり、それこそが時代性を象徴するともいえる。また単純に僕は個人的な表現が好きだ。スローテレビやYouTubeにupされたホームビデオ、ICCの無響室で展示された前林明次のメトロノームの作品とか。個人的な表現は大衆志向の広告によって殺される。個人的と大衆的の間は何か?そもそもその間なんてあるのか?寝る