文脈の事故

オール・ノンフィクション

20190416

大して制作が進まない日はどうしようもない気持ちになる。抗えない怠惰が重くのしかかる。その時人がどんな行動を取るのかを静かに観察する。家に向かって歩いているこの時、作りたいという気持ちが湧く。でもそれはできないから、また明日に繰り越されてしまう。どうやってアニメーションを拡張できるか。

 

たくさんアニメーションを観て、読んで、作って、話すのが大学院生としての私の特権というものである。金銭的な援助、将来的な立場、取り掛かるべき仕事、それらの三重奏が悲観的なものであったとしてもきっと私は大丈夫。

 

FPSのファーストパーソンを露見させるための装置。インターネット前提社会だからこそ通じる物語。トランスフォーマティブに消費される身体。言葉にしてしまえば幾分簡単だがこれらは作らない限り何も見えない。億劫な手をどうにかして動かさない限り、残酷なまでに結果の違いが現れてしまうのである。それを納得する。

 

今日は自転車のライトがDMXみたいに見えた。伸びる光。視線。サーチライト。自分だとこうにしか見えないものを他人と共有するための方法。フォークロア。民話。100年後くらいに再発掘されてほしいテキストデータの追体験。今日はそんな感じでした。