文脈の事故

オール・ノンフィクション

2024/02/26

どうしようもないあなたの隣に座っていたよ。映画祭の一つも行けなかった腹いせに適当な映画を家で観てたら、越してきた二年前、プロジェクターで部屋の壁一面に映画を投影した思い出。貯金で過ごしてなんとか修了できた私は頑張った。だらだらとぬるい氷とコーラの余りが水になって境目がよくわからなくなる10分を六年間溶かし続けた。時間が寝てた。くるくる線を描いた。線のカーニバル。でももう引き返せないよ。もう戻れないの。そんな事ばっかりだよ。この部屋はもうじきうるさくなる。曇天返しだよ。映画の男みたいな喋り方。

2023/11/20

バカほどにテンションが上がらない。これは天気を理由にしてしまえた。朝が歩けば日が火照る。夜が走れば耳が腐る。湿った腐敗土を6つの地域別の小分け袋にしまい、自宅から1/600000スケールで再現。毛先でさえも美しかった。ぐったりとした、ruhig、ぐったりとした、ruhig、と語学の練習してたら、その行き来が紅茶パックを指先で上下してお湯にくゆらす光景と繋がっちゃった。ガドガドがどこか東南アジアの響きがあるならなんとかリヒはヨーロッパのそれだ。だったとして、

2023/11/06

以前気になっていた人と久しぶりに電話をした。わたしはタチウケ訊かれると即座に失望、げんなりするところがあって、<それ>への生理的な汚さとか、痛いの無理みたいなマインドが一因だった。赤裸々にそうした悶々を打ち明けたら、その人もわかる、自分もそうと言っていた(本当かどうかはわからんが)。その人はわたしがずっと顔が好きだった人で、話も合うし、優しいし、作ることを生業としている人だったから、人生そんなことあっていいのか?と思った。でもわたしは美術を生業にしたくてこっちに来たから、戻ったら戻ったで、、という感じだし。電話が終わってひとしきり作業をして、家に帰って、でもわたしは、と己を奮い立たせていた。