文脈の事故

オール・ノンフィクション

2017年4月2日(日) 21:50

テストセンターの勉強をしていた。
今は大阪市営地下鉄のメロディを聞いている。
自分は天才ではなく、才能もなく、無能であると日々自覚させられる。

私の父親が定年退職した。
私の父親は60歳になった。
私の父親は赤いちゃんちゃんこを着た。

そこに、確かに、60歳の父親がいた。

2017年3月31日、私は西東京の実家へと帰った。
19時30分くらいに、父親は花束を持って帰ってきた。

ねぇ、おれ、どうすればいいと思う?
誰も答えるわけなんかない。
『何者』を読んでいると、ただひたすらに、自分の未来を決めるのは自分しかいないという事実を強く突きつけられる。そんなものだよ、人生。とも思う。し、花束を持った父親は、勤続36周年。おめでとう。幾十年も継続する(と考えられている)事柄って、懲役と勤続くらいだと思う。懲役は悪のイメージがあるのに、その対極に勤続はあるのって不思議だよねぇ。

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大阪市営地下鉄のメロディを聞いていたのは、2007年の5月(だからもう10年前か、早いなあ)、父親は大阪は江坂ていうところに単身赴任していたから。おれ、双子兄、母で12年前、単身赴任中の父親のところへ行った。たこやき食べたりとか、通天閣に行った覚えがあって、おれが40度くらいの熱を出して、初めて40度くらいの熱出したから、(おれ死んじゃうのかな…?)と本気で思って目から一筋の涙を流していた。熱を出す前に、2007年5月5日、今はなきエキスポランドに行くか、コナミスポーツクラブ弁天町に行こうか迷っていて、おれは俄然「エキスポランドに行きたい!」って言って、双子兄は「コナミスポーツクラブ弁天町に行きたい!」と言っていた。で、結局コナミスポーツクラブ弁天町に行くことになって。プール楽しかった。

実はその日、エキスポランドのコースターで死亡事故が発生したのね。

だから今でも、2、3年に一回くらいこの話を思い出すんだけど、そのたび双子兄は救世主だったんだと思っている。今調べたら、コナミスポーツクラブ弁天町は一昨日、2017年3月31日をもって、閉園になったんだと。なんかさすがにここまでタイムリーだと、運命だと思わざるをえないよねぇ。