文脈の事故

オール・ノンフィクション

2019/12/26

まるで作り続けることが偉いかのように錯覚するときがある。そんなことないのに。作られたものが商用目的のそれではない、個人の意思が結託した作品として佇んでいる以上、全部同じに見えるときがある。そこに何の意味があるのと問われたとき、どう答えるか。葬式に飾る作品を増やしたいから作っている。作ることはすごくプライベートな儀式で、その頂点に達するのは葬式だと思う。葬式を境に、その人をますます忘れることができる。あなたみたいな人を地下鉄のホームで見かけたり、電車の中で見かけたりした。一年前に書いていたプチブログの文章をもらって久々に見たら希望と失意を交互に行き来る夢遊病みたいな感じだった。殻に閉じこもってあなたみたいな話をしていた。研究室に戻ったらパーソナルヒーターを初めて点けようと思う。残された寿命が少ないと知ってもどうにかして伸ばそうとした。バースデーケーキにろうそく灯してふーと吹き消す儀式が無くなった瞬間大人になった。失うものは沢山あった。中学の頃の僕にはどうにも刺激が強すぎる時間を今日も淡々と過ごしているよ。