文脈の事故

オール・ノンフィクション

2020/03/11

SFC時代の恩師と話す。ブラジルのサンバミュージシャンとマイルスデービスをすすめてもらう。尊い時間。元気もろた。こちらがどネガティブな感じを出しても大丈夫なんとかなるでしょと追い出してもらえる。情や人、生まれたときの歴史。恩師の前では面白い人を取り繕わなくていいので気が楽だった。ありがたう

2020/03/08

記憶障害だから何度も仏壇の鈴を鳴らす人がいた。そして何度も僕の部屋の襖を開け、僕が寝てることを確認しては去っていく。この部屋は荼毘に付した人がかつて住んでいた部屋。存在感のたしかな輪郭をなぞる。

2020/03/05

思えば大学四年の春、いくつか内定を持っていた僕は、アール・ブリュットのドキュメンタリーを偶然観た。障害者があまりに生き生きと絵を描いているのを見て(僕はこれから仕事で嘘をついて作るのか。)と泣いた。そのとき大学院に進学して作家として本当を作りたいと思った。あれから二年が過ぎた。

「観客に嘘はついていいけれど自分に嘘をつくな」とある教授が言った。その言葉が今も頭にこびりついている。二年間、会いたい人に会いかけてほしい言葉をかけてもらい見たいものを見るために作った。矢先でも就活しないと金無いしと思って就活したけれど同期の「もし同期のあいつが修了して作家になって有名になっても悔しくないの?」という言葉で歯止めがかかった。

コロナで卒業式は中止になったけれどこれからはずっと続いていく。僕は修了して来秋にベルリンに留学する予定だ。海外留学の奨学生として採用いただいた。それまでギャラリー / 予備校のバイトと留学準備という二足の草鞋の生活を送る。息がしやすいように作れたらいいと思う。

2020/03/04

卒業式が中止になった。浮いたまま暮らしている。ドイツ人講師が教えてくれたパスタ屋でカルボナーラ。駅の改札通ったら若い女からすれ違いざまにわざとぶつけられる。突然の出来事に脳が追いつかず、歩きながら、女のほうをじっと睨んでいた。向こうはわざと無視してるかのようで、美味しかったパスタの記憶が吹っ飛んで全部嫌になった。学校へ。やるべきことを粛々とこなしながら、頭をもたげていた謝恩会の開催可否をようやくラインで訊く。通常通り開催する。教授の芸術選奨。意味わからないことが意味わからないまま起きている。頭が痛くないんだけど痛い。苦い。

一人暮らししたいと考えてた。目白か代々木公園。折り畳みの自転車で毎朝自転車通勤してる生活。手取り15万から18万で出来ることを考える。黒沢清の記事。映画を健康に作る的な。8時〜17時まで勤務で、その後は"自由"時間にしてるとか。部屋が欲しかった。本当に一人になるための時間。大学院時代の生活を考える。いつ来ても大抵研究室にいる同期がいて、僕はそいつに負けたくないとか学費回収しようと奮い立って、意図的に何泊もしてたわりには作業が思いのほか進まなくて、三週間ぶりに帰る電車で帰れる喜びを噛み締めているような生活ぶりだった。本末転倒というか。ちゃんとした生活をしたいと思ったんだけどいま頭にそういえば渡欧するかもしれかいことが過った。わからないままにしていたい。時間の質と金の量を天秤にかけている気がした。なみなみの朝をひたひたにくゆらせて、そこに立つ空虚な湯気を淹れていたい。

キレないように必死だった。都合の良い男と女たちの対処法。

2020/02/26

展示が中止になった。こういう時は本を読む。メガネを買う、バリカンを買う、自転車を買う、カメラ、パソコン、制作環境、ジム、渡航費、語学、留学準備、読書、今の懸念事項。息がしやすいように作る。久々にこの時間帯に家に帰る。まだどこもかしこも起きている。本でいえば第五章のあたりまで来ている気がする。