文脈の事故

オール・ノンフィクション

2020/12/21

父親の動画とラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌが同等の世界にいました。僕は父親になれない。やはり僕にとって父親は、トラウマのような出来事が少しだけあって、その根を自分が勝手に深くしてしまってる。

将来の僕は思いっきり父親になってください。両親を失望させないでください。生まれ変わったらヘテロになって、思いきり異性を愛してほしい。両親がそのときだけ「写真見せて」と言ってこない。どうかこっちの沼には来ないでください。どれだけ書いても願っても変えられないけれどだから僕はここで祈ってたい。誰かいいなと思うたびにこの人がヘテロであってほしい、そしてわかったときにヘテロでよかった、と心底思う。

取り繕ってるだけ。こないだ頭によぎったことをそのままノートに殴り書きした。音大の経営破綻の記事を読んでたから、家族経営のくせに、とか、いつか死んでしまうくせに、とか書いて、あとで見たらなんか悲しくなってしまってそのページを破り捨てた。

ラヴェルはヴァイオリンソナタも良いよ。こないだオンラインコンサートでふと聴いてすっと聴き入ってしまった。何がいいかはわかんないんだけど

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音楽を聴くと動きが思い浮かぶ。どんな音楽を聴いたとしても無限に動きが思い浮かぶ人だった。三年前、適当に会った男に「思い浮かびますよね?」と訊いても、首を横に振られる。ずっとこの動きをどうにか映像にしたいと思っていた。なにを聴いても、目を閉じれば本当に音楽が動いて見える。いつか本当にそれが作り終わるまで僕は生きなければいけないのだと思った。

目は手のように動いた。どうやってもうまくいかない。どうにかしようともしていないんだけど、ここから出たくもない。昔から兄弟と離れてひとりパソコンやってるような人だったから、一人作業が何の苦でもなかった。驚くほど慣れてしまっていたと自粛を経て気づいた事は、どこかにあるような、島のような、バカを見る

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制作中はずっと頭に汚言が過ってしまう性分だった。ここには書けない架空の汚言とたくさん付き合っては別れた。離れない言葉とどれだけ別れたら僕は。ギブアップ