文脈の事故

オール・ノンフィクション

2020/12/25

四半世紀生きた。ありがとうございます。友人と親に感謝を捧げます。

いっそのことひっそりと隠れて暮らしてしまいたいと思うことがある。フィンランドの森奥だけどAmazonはすぐ届く地域あたり。

売れない作家として暮らすのは自己肯定感、背徳感、多くの感に苛まれる。ほかの友人は今働いているというのに、こちとら起きる時間も、何するのも自由で、こんなふうに生きてていいのか、たまたま偶然が重なってこの状態が出来ているだけで、きっとすぐこの脆さは崩れるし、こんな存在で果たして許されるのだろうか。そんなことを思いながら生活している。

同時に、今月頭の展示の光景がよく頭に思い過る。多くのアートコレクターがいて、アートワールドとはこれかと体感したんだけど、その金持ち特有の知識の浅はかさというか、ウズウズしてしまって、作品を見て何かクリティカルなこと言ってくれよ、お前は大量に見てきてなにも言葉で言えねえのか的な。そのうち展示に来る人それぞれ金に見えて仕方なかった。

その展示では、たまに僕の作品を見入る人がいた。じっと見入っていた。若い学生とか、子供と一緒に来られた親御さんとか。金とか利益とかではなくて、僕はこれでいいなと思ってしまった。来る人来る人が見てたまに響くくらいの程度でいいなと思った。

祈りとしての制作があまりにも尊かったから、そうやって小さく作り続けられたらいいのにと思った。