文脈の事故

オール・ノンフィクション

2021/05/30

距離を取れることが本当に有難い。今僕はアトリエにいて、外では単管がテント状に立った仮設の舞台で、大道芸人がEDM流して芸してる。それをマスクつけた観客が、ざっくり20人くらいの規模で見てる。横浜はみなとみらいのハードロックカフェ前の広場を思い出す光景。

ツイッターを読んでなんとなく知った気になっては、気分の悪くなる出来事が溢れている。でも目を逸らしてふと前を見れば、大道芸人が2人でディアボロしてる。ここはドイツのベルリンの片田舎。その事実を受け入れることが僕を安心させてくれる。一ヶ月前は自分がベルリンにいる状態を呑み込むのに気を割いた。自分はベルリンにいて、日本の実家とは約8,910km離れていて、それはどうやっても歩いては帰れない距離だ。いつもどこかで浅く絶望していた気がする。

「自分が住んでいる世界はbubbleのようなもので、私には内と外の2つのspaceで隔ててるよ。」と中国出身の同級生が授業中に言っていた。僕が抱える齟齬のようなものを話したときにこう返されて、僕はひどく共感した。大道芸、川、ボート、タップダンス、あまりに無関係でまとまりのない光景が視界のなかに溢れていて、それだけが今の僕を安心させてくれる。