文脈の事故

オール・ノンフィクション

ストンときたもの

ヴォルテールの言葉に"Life is a shipwreck, but we must not forget to sing"というようなものがありますが、最近本当にその教訓は正しいということが強度を持って理解できる。今の選択肢。残っている選考を受ける。作品を作る。大学院を受験する。大学院の結果が芳しくなければ、通年採用の企業に行く。そこまでは決まった(今日決まった)。今日は本命のグループ企業の社員さんとの飲み会。改めて人事が苦手だと思った。まあそんなもんですよね〜。夫婦でアトリエを構えてユニットとして作品を作ることができれば、それはとても幸せだと思った今日のバイト。やりたいことやるべきだと教わるので今のバイト先はとても居心地いい。帰り際にバイト先の代表から「どう?大丈夫?」と訊かれて、「楽しいです!」と返すことができて、「引き続きおねがいします!」みたいなこと返されて。それだけでよかった。ストレスフリーで働けている証拠だから。時間を溶かしてる感覚はあるけど、それは今の自分の実力が反映された結果なわけで、別にしょうがないと思えるし、それでお金が貯まって、大学院に行くわけだから、なんだっていいのだ。広告会社に行けなくても未来はあって、大学院に行って大学の講師をやりつつアトリエを構えて作品とクライアントワークを作るみたいな未来もいいじゃんか。誰かが肯定してくれる将来を夢想していたけど、その誰かは大多数じゃなくてもいいと思うし、究極その誰かは自分一人であるべきだ。正直であるべきだ。正直に生きていたら結果として誰かが肯定してくれるはずだと信じて。正直。ベルリン芸大か東京芸大IAMASで二年間学んで、専門性を身につけて、企業か教育機関どちらかで働いてでもいいから、自主制作とか実験をする時間をちゃんと作って毎日満足して生きていたい。というのが本当に実現しそうな道に結局導かれているのだった。それは本当によかった。それで本当によかった。それが本当によかった。もう少しがんばっていこう