文脈の事故

オール・ノンフィクション

終わった

ますます幸せがわからなくなってくる。

本命の最終面接に落ちた。

まだ確信ではない。しかし、同じ時間帯に受けていた堀似の早稲田の人が「内定承諾しました。クリエイティブ系に進みます。」とツイートをしていて、そのツイートを見て、バイト先で奈落の底に落とされるような気持ちになった。本当に、ずーーーーんと底に落ちていく気がした。

なぜ、隣の人が良い結果に?現象が去年の夏から起きている。
去年の夏、おれはH本社でインターンの筆記選考を受けていた。隣のやつもおれも受かり、一緒にインターンに参加した。そして、おれはその会社に内定せず、しかし隣のやつは内定した。インターンの期間中も、隣にいたやつが最終プレゼンで優勝した。そして今回。H本社の最終面接で、隣にいた早稲田の人が受かり、おれは落ちた。

事実を受け止めたくなかった。

おれの四年間は果たしてなんだったのか。

なにを得たのか。なにが幸せだったのか。

思えば、おれはH本社の内定を得るために、数々の実績を挙げたと言える。ブランドデザインのコンペも、インターン参加したことも、クリエイター学校に行ったことも、慶應に進学したことも、全てはH本社の内定を得るためだった。しかし、それが叶わなかった今。訳がわからなくなりそうだった。なぜあいつが内定して、おれは落ちるのか?あいつはおれよりセンスが無い。いわゆるリア充アピールに余念が無い。対しておれ。でも感触は五分五分だった。面接官は笑っていた。面接官は「君は面白いから、その面白さは忘れないほうがいい」と言っていた。ただおれは、希望の職種であったり、Hに行きたい理由が本当に曖昧にしか言えなかった。それが本当に心残りだった。でもポートフォリオを見せたりはした。志望動機も覚えていたものをちゃんと言えた。なぜ?なぜ?なぜ?

四年間で何を得たんだろう?ちょこっとのProcessingとArduinoPhotoshopIllustratorとPremiereとAbleton LiveとopenFrameworksのスキル、遊ぶ大切さ、寝る幸せ、同性愛は幸せになれないという悟り、他大の人との“人脈”。研究会では何も得られず終わる。得ようともしてなかった。体たらくすぎた。サークルは?代表になったのは就活のため?わりとそう。でもそれは就活には何のためにもならなかったんだよ。

バイトをしている時、インターンをしている時、違和感があった。なぜおれはこれをしているんだろう?代わりにこの作業ができる人なんて、周りにいくらでもいるのに。おれは使われていた。インターンの時も、本当にこれがやりたいのか?という邪念がうずまいて仕方なかった。でも就職するのなら、働くのなら、妥協することも仕方ないと思っていた。妥協する中で譲れないものがあり、収入が高く、経歴も良くなり、ある程度満足した生活が送れそうだ、と思えたのがHだけだった。インターンに受かったときも泣きそうになるくらい幸せだったし、本選考の鬼門と言われていた一次面接を通ったときも嬉しかった。でも落ちた。結果的に落ちた。ああああああああ

持ち駒が無くなってしまった。一社内定を得ていたが、Hのために辞退した。最終面接でも面接官から、「落ちたらどうするんですか?」と訊かれた。「少し考えます」と答えた。それだけ、(お前らが俺を落としたら俺の運命どうしてくれんの、人生どうしてくれんの、お前ら俺落としたら未来無いんだぞ)という念をかけていたから。実績もESもよく書けていたから、まさか落ちることは無いと思った。でも落ちたんだ。

この四年間、本当になんだったんだろう?

満足した作品も思うように作れず、お金にいつも悩み、挙句研究会はクビになり、大したスキルや専門性も得られず、今に至る。読書の習慣も全く身につかず、情報収集能力も無い。そして同性愛は幸せになれないと悟った。なぜなら、30までに結婚して家庭を持つという目標があったから。子どもの顔が見たいと思ってたし、子どもを抱きたいという欲もあった。さっきからなぜか後頭部が若干痛い。

大学院に行くという目標が強くなってた。藝大の院かIAMAS。ただ目の前に立ちはだかるのはお金という問題。仮に入試に合格しても、どちらも合格後に35万円は必要。しかもまだ入試に100%受かるなんて誰もわからないし教えてくれない。親が可哀想で仕方ない。家一軒建つくらいのお金をかけて育ててきた自慢の息子は、就活に失敗して、挙句院に行きたいとかほざいてる。落ちたらどうすんの?ニートになんの?フリーターにでもなんの?慶応卒のフリーターなんて笑えない。落ちたらイメフォにでも通おうかな。は?甘えかよ。そんなやりとりが目に浮かぶ。

不器用でごめんなさい。何もかも自業自得だって知ってる。ばーか

全部の番組も、全部のCMも、全部の建物も、全部の製品も、全部が内定者によって作られている。その事実に苦しめ続けられるのだ。